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激動の近代化

大分県北部、奇岩の連なる渓谷地帯「耶馬渓」。溶岩台地を水流が長い年月をかけ侵食し、その神秘的な地形は、古くより伝説と祈りの場所となりました。また耶馬溪を訪れた人々は、その絶景を愛で、詩や絵画で表現しました。

今では紅葉の名所としても広く知られている耶馬渓も、明治〜大正時代、近代化によるインフラ整備の中で開発の危機に晒されていました。

『馬溪翁』

当時、耶馬溪町の富豪で政治家でもあった「平田吉胤」は、耶馬渓の発展と観光振興に多大な足跡を残した人物。彼は町に水路をひき、産業をおこし、”まちづくり”をすすめていきます。 その中で、彼がなにより大切にしていたものは、深い歴史と文化にささえられた耶馬渓の景観そのものでした。

古くから伝わる寺社を保護し、町の文化を守り、文人や歌人、学者達を支え耶馬溪の美をあらわにしていきます。彼の尽力は、大正12年3月、耶馬渓を国指定名勝に導き、美しい風景は今も変わらず私達の目の前に残されています。

木造三階建て

白壁に囲まれた木造三階建ての邸宅「平田邸」。 吉胤は、新しい手法で耶馬渓の美しさを表現します。

耶馬渓の名勝指定とともに、吉胤は二階建ての自宅の屋敷に三階の間を増築しました。 三階の窓は遮る壁もなく三方に広々と開け、窓から見る景色はまるで美しい屏風絵さながら。 そこは耶馬渓の景観を愛でる眺望台でした。

吉胤は、三階建てとなった邸宅を迎賓館として多くの客人を招き、耶馬溪の美しさを伝えていきました。

平田邸とは

「平田邸」は、贅を尽くした単なる豪邸ではありません。

歴史が過去と現在をつなぐものだとしたら、耶馬渓の美しさの真髄を今もなお、伝え続けている平田邸は、耶馬溪の歴史そのものであり、故郷の道標でもあるのです。

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平田邸の保存

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イベントの開催

平田邸では、イベント企画に併せて限定で公開を行なっています。イベントの開催はこちらのページで随時ご紹介いたします。イベント・企画のご相談も承っておりますので、お気軽にお問い合わせください。